10年と思い出と決着
映画館へ走らせている途中卒業証書を手にした学生をたくさん見た。背格好からしておそらく中学生だろう。思えば自分が初めて仮面ライダーオーズを見たのは中学2年だった。リアルタイムでは視聴しておらず地元のテレビが毎週2話ずつ再放送している分で全話視聴した。何度も見返しているとはいえまさに10年ぶりの再会と言っても過言ではないように思う。
映画を見た結論から言うと私はこれをオーズとは認めない。
自分はアンク復活を描かないでほしい派である。アンク復活という大きな欲望を得ていつかの明日へ向けて旅を希望を持ってまた始める火野映司という終わり方が美しく思うからだ。そんな最終回のケチをつけるのかと心底思う。
この映画に関して最初から否定的ではあった。パンドラボックスを手をかけること。バースがコアメダルを使うということが許せないこと。しかしそれ以上に許せない内容が2つそこにはあった。
1つ目は火野映司の死だ。800年前の王とはいえぽっと出の敵に我々のオーズが負けてもらっては困る。
少なくとも自分が想像していたいつかの明日には映司、アンク、比奈の3人がいる。映司が死ぬなど笑止千万。話にならない。
2つ目はセリフだ。バカでもわかるようなオマージュのセリフを吐かせて我々の涙腺を刺激しようとでも?お涙頂戴しようとしたのか?舐めてもらっては困る。あんなので泣くのはバカだけだ。
この映画のどこを切り取っても映司もアンクもいない。
やはりこれは小林靖子脚本でなかった弊害だと考える。小林靖子の本の面白さ、強さは掛け合いだと自分は考える。本人も掛け合いが好きであったりプロデューサーもセリフの力を認めている。某S倉プロデューサーの言葉を借りるなら"生きてる"と言ったところであろうか。大まかな話の流れは考えてはいるもののキャラクターに当てはまらないセリフは書かない。言わされている、ファンサービスのようなものばかりであったように感じて終始気持ちが悪かった。
以上の2点がいわゆる解釈違いといったところであろうか。
この映画は本当に賛否なんて言葉では生ぬるい真っ二つの評価に分かれる映画であろう。それはそれでいいと思う。しかし私はくどいようだがこれをオーズとは認めない。思い出の1ページを汚された気分だ。
これから一生自分の中でテレビ本篇が最終回だと思い込んで見ようとしてもこの作品が脳裏によぎるだろう。もはや呪いだ。
何はともあれここでアンクと我々の決着がつき仮面ライダーオーズは完全に終わった。死んだ。
良き終末を